「推し、燃ゆ」
著者:宇佐見りん
有名な作品ですね!第164回芥川賞受賞作。
タイトルは聞いたことはあったけど、読んだことなかった。すごく読みやすい文章量なので、あっという間に読んでしまった。
多感な高校生が、生きづらさを感じながらも、推しがいることでどうにか生きている…。自分達親世代にも読んでもらいたい1冊だと思う。
生きづらさを抱える人の気持ちがよく表現されている
発達障害やグレーゾーンという、生きづらさを抱えやすい人達。何かが不得意で、「普通」に生活できない。
主人公「あかり」は推しのための世界があり、バイトをして、学校にいく。ただこの言葉だけで受け取れば普通に生活しているように感じる。
母、姉、バイト先、先生…。少しずつ溢れてくる、理解してもらえない、生きづらい毎日。
もしかしたら、毎日自分の子供もこう思っていたりするのかもしれないと思った。小さな傷を毎日負っているのかもしれないと。
物事の受け取り方って、本当に本人しかわからないから難しい。親に言われてショックだった出来事とかって、大人になってからも覚えてたりする。親はきっと忘れているんだけど。
推しへの気持ちが少し理解できた
私はさほど何かにハマったりする方ではなく、ファンクラブとかも入ったことないし、コンサートとかも行かない。ミュージカルとかは好きかな!
この本を読んだら、「推し」と呼ばれる存在が、どれほど本人にとって大切なのかがわかる!
主人公あかりにとって「背骨」と表現されるように、本人には生きて立って生活するのに欠かせない存在…。ラストの表現もすばらしい!
生きづらい毎日のなかで、推しや、推し仲間の存在がどれだけ自分の世界を彩っているか。自分はもう大人になってしまったが、心理は大人も子供も関係ないのだろうか。依存性という意味では子供の方が未熟だろうから、より「推し」が世界の全てのように感じるかもしれない。
おもしろい、とい表現で終わりでは良くない
40代母親として、あかりのような子供はたまにいるようだ。そういう子供を持つ親が、悩みを切々と語るのを聞いたこともある。
ただやはり、同居しているわけではないから、ほんの一部分しか理解できないこともあったりして、実感として気持ちをわかってあげられない。
もしこのような状態の子供がいるとしたら、どうやってサポートしてあげられるだろうかと思った。もし自分が親なら、どう声をかけるだろうか。
だらしがない部分を「片づけなさい」「ちゃんとしなさい」と注意するだけでは答えにならないことはハッキリしている。
ちゃんと病院で診断をしてもらい、どうしたら本人が快適に生活していけるのか。共に考えられる親になりたいな…。って、自分の子供に寄り添えているのかもわからないのに、えらそうなことを言ってしまった!
ああ、子育って難しい!正解がないんだもん!